なぜJEUX BARをするのか。【ゲームで世界を変える】
先日Pokémon GOが日本でも公開された。
普段昼間は年配の方か小さな子どもたちしか見かけない通りを、若者が歩いている。
電車の中でも、あの青いマップが目に留まる。
夜の通りには、カップルが手を繋ぎながら片手にはスマートフォン。ポケモンデートとでも言うのだろうか。
1日にしてPokémon GOは街の様子を変えた。
アメリカを皮切りに世界が変わり始めている。
賛否の声がメディアを賑わせ、瞬く間にそれは認知された。
Pokémon GOが変えようとしている世界とは、なんなのだろうか。
2012年、クリスマスイブ。
私は、フランスの田舎町に居た。
そこで見た光景が、世界を変える可能性を秘めているものだったと気づくことになるとも知らずに。
当時から私は、なぜか「親が、子を虐待」「子が、親を殺害」という類のニュースに敏感になっていた気がする。
何がきっかけだったのか、自分でもわからない。
私の家族に不満があるわけではない。そんな家庭が世の中にあることが悲しかった。
けれどもそれは、他人事でしかなかった。
何もすることはなく、1年間のフランス生活を終え、
就職の時期には、「将来の子どもの為になる仕事をしてみたい」と頭を過ったが、結局自分の好きなことを仕事にしていた。
自分が好きでしていた仕事の最終的なターゲットが、結局子どもだったんじゃないかと思ったのは半年ほど前のことである。
頭の中を整理していると、私の中に眠っていた想いがあったことを再認識したのだ。
もしかしたら今の仕事が「将来の子どもの為になる仕事」だなんて気のせいなのかもしれない。だってどんな仕事であっても、それは将来の為の仕事であるはずだ。ターゲットが若年層であれば「将来の子どもの為になる仕事」になるだろう。
しかし、例え気のせいであっても学生の頃に抱いていた夢を思い出せたことは大きかった。
その夢は、
日本の大人がボードゲームで楽しく遊ぶ光景を一般的なものにすると言うもの。
なぜかって?
それが子どもの為になると思えるからだ。
子どもの頃、ボードゲームで遊んだことのある方は多いだろう。しかし、いつの間にか遊ばなくなったのではないだろうか。
また子どもと一緒に遊ぶ大人は、自分が楽しむ為ではなく子どもの為に遊んでしまってはいなかっただろうか。
クリスマスイブに見た、3世代が一緒にボードゲームに興じる光景は、幸せそのものだった。
子どもたちはもちろん、
おじいちゃん、おばあちゃんも声をあげて楽しんでいた。
こんな家庭なら、虐待なんて言葉とは無縁だと感じた。
大人も本気でボードゲームで遊ぶ文化を、日本に輸入したい。
日本とヨーロッパの国々は、違いが多い。
残業時間が違えば、子どもと過ごす時間の長さも違うだろう。
有休なんてのも、日本は取り辛い。
しかし、日本にもアナログゲームで大人が遊ぶ文化があることに気がついた。
それは、麻雀だ!
お酒を飲んだり、タバコを吸ったりしながら大人が遊んでいる。
フランスには、お酒を飲みながらボードゲームで遊ぶお店があった。
子どもの頃には、家庭で。
大人になってからは、飲みの席で。
ボードゲームがいかに親しみやすいものなのかがうかがえる。
日本人も麻雀で遊ぶなら、ボードゲームでも一度遊んでみてはいかがだろうか。
麻雀で遊ぶ大人がいる日本であれば、環境さえ整えてあげればボードゲームで遊ぶ大人は増えていくかもしれない。
私は今、大人の為のBARという空間で、ボードゲームを広めようとしている。
今、日本でもかすかにボードゲームブームが起き始めている。
人気を博したリアル脱出ゲームの流れから、オンラインではないアナログゲームへの再注目が生まれたからだ。
TVゲームやスマホゲームでは、薄れかけていた相手の顔をうかがいながら遊ぶということ。
2次元の空間にはない、言葉以外のコミュニケーションがボードゲーム最大の魅力だ!
一緒に遊んでいる人の笑顔は伝染し、ゲームに負けた人も幸せそうに笑う。
大人たちがその魅力を再認識した時、子どもと遊ぶのも楽しいものだと思えるだろう。
Pokémon GOの様な大きなブームメントを起こすのは難しいかもしれないが、私はボードゲームで日本の家庭を変えていきたい。